沖縄考古学会公式ホームページ

沖縄考古学会の公式ホームページです。沖縄で考古学研究を行う団体です。

TEL.(098)895-8276・8270
沖縄県 西原町 字千原1番地
琉球大学法文学部考古学研究室

プロフィール

沖縄考古学会は、考古学上の諸研究を行い、併せて会員相互の親和向上を図ることを目的としています。
専門研究者だけでなく、考古学を学ぶ学生、考古学が好きな人、社会科の先生、文化財保護を願う方、古いものに興味をもっている人など、たくさんの会員がいます。貴方も入会し、沖縄の考古学を学んでみませんか。
会員になるには、個人でも団体でも随時入会することができます。入会費千円。年会費千円を郵便振り込みでお送りください。
口座番号

【郵便振替】名義:沖縄考古学会 記号番号:01790-9-21851

【銀行振り込み】口座名義:沖縄考古学会 振込先:琉球銀行(首里支店)   口座番号:300065(普通預金)

 

 

ごあいさつ・組織役員・会則

 令和4年7月24日(日)に開催されました2022年度沖縄考古学会総会において、新会長に選任されました。
 前任の上原靜会長が二期4年にわたり、充実発展させてきました本学会の会長をお引き受けするのは、一抹の不安とともに身の引き締まる思いがいたします。
 本学会がさらに充実・発展するよう精一杯頑張っていこうと思っていますので、新役員のメンバー共々に、宜しくお願いいたします。
 さて、本学会は1969年に創設されて以来、考古学の普及、会員相互の親睦と研究の深化を設立理念とし、53年の歴史を績いできました。
 この間、機関誌『南島考古』、『南島考古だより』の発行、一般向けの普及書の刊行、定例研究発表会、他の研究組織との交流研究会、遺跡保存の運動など設立理念に即した様々な活動を展開してきております。これらはひとえに学会員の皆様、ひとり一人の考古学への熱意と、共同の精神に支えられてきたものであります。このような本学会の活動は、沖縄の地域社会における文化的生活環境作りに、大いに貢献してきたものと考えております。
 復帰50年にあたり、これまで展開してきました諸事業をさらに充実していくとともに、学会の研究向上・促進などに取り組んでいきたいと思います。
 一向におさまる気配のないコロナ禍の中ではありますが、新役員、事務局共々、力を合わせ、会員諸氏のご意見を賜りながら、本学会の運営に努めていきたいと思います。
 前会長時同様に、引き続きご支援ご協力をお願い申し上げ、就任のあいさつとさせていただきます。

島袋春美(沖縄考古学会会長)

組織・役員

役職 名前 備考
会 長 島袋春美  
副会長 後藤雅彦  
副会長 下地安広  
事務局長 宮城弘樹  
 会計 新垣力 ・金城貴子  
理 事

安座間奈緒・天久朝海・池田榮史・上田圭一・江上幹幸・大堀皓平・奥平大貴・亀島慎吾・金城りお・久貝弥嗣・具志堅清大・崎原恒寿・島袋綾野・新里亮人・新里貴之・瑞慶覧長順・主税英徳・長濱建起・宮城明恵・森達也・山崎真治・山本正昭・横尾昌樹・吉田健太

 
監査役 大城秀子・大城剛  
 顧問 新田重清・知念勇 ・當眞嗣一・上原靜  

 

 


沖縄考古学会 会則

第1条 本会は沖縄考古学会と称する。
第2条 本会は考古学上の諸研究を行い、併せて会員相互の親和向上を図ることを目的とする。
第3条 本会は前条の目的達成のため、次の事業を行う。
 1.考古学会誌「南島考古」及び通信紙「南島考古だより」の発行
 2.遺跡の発掘調査及び研究発表
 3.講演会の開催
 4.その他本会の目的達成に必要な事業
第4条 本会の総会は毎年一回開催し、必要に応じて臨時総会を開くことができる。
第5条 本会の会員は会の目的に賛同の個人または団体とし、入会費と会費は以下の通りとする。
 1.通常会員(個人・団体)年額1,000円
 2.入会費(個人・団体)年額1,000円
第6条 運営は会費、会誌販売その他の収入をもってあてる。
第7条 本会計年度は6月1日から翌年5月末日までとする。
第8条 本会に次の役員をおく。
 1.会長一名、副会長二人、理事若干名
 2.役員の任期は二年とし、総会で選出する。ただし、再任を妨げない。
第9条 本会に顧問をおくことができる。顧問は本会の発展に寄与した者で役員会の推薦により総会の承認を得た者とする。

付則
(1)本会の規約改廃は総会で決める。
(2)本会の事務所は、琉球大学考古学研究室に置く。
(3)この規約は1991年7月11日から施行する。

 

 

 

沖縄考古学会 沿革

本学会は日本本土復帰前の1969年9月21日、琉球政府立博物館を会場にした総会で産声を上げた。
以下、『南島考古』no.39号に掲載される、「沖縄考古学会50年の歩み」(上原靜著)を転載し、学会活動の沿革を紹介する。

Ⅰ期:黎明期(学会立ち上げ前夜期で、日本本土復帰以前である)
 本学会の設立(1969年)の約10年前を遡る頃、有志による考古学の勉強会(沖縄考古学同好会)から組織化の機運が漸次高まり、学会の創立。大戦後十数年経過しているが、依然として復興段階にあり、戦災を受けた文化財の復元が社会的に希求され、琉球政府のみならず様々な復元期生会、保存会などが立ち上がり、官民挙げての復元や保存活動が行われた。
 一方で、円覚寺跡に対する琉球大学グランド建設にともなう埋め立計画や、玉陵の前庭における宗教施設建設など、戦火をくぐり脱けてきた史跡をめぐて、開発か否かで社会問題になった。
 なお、考古学上では、琉球政府文化財保護委員会に多和田眞淳氏が所属し、自身で数多くの遺跡発見と、それらを体系化した編年を考案し、沖縄考古学の歴史文化的意義と理解を説いていた時期である。

Ⅱ期:創立期(1969年から1971年)日本本土復帰前3年の間
 本学会は1969年、琉球政府時代に創立した。日本本土復帰3年前で、当該期を創立期とする。在地の考古学の第一人者として多和田眞淳氏を第1世代と捉えると、本学会運営を高宮廣衞氏、友寄英一郎氏、新田重清氏、嵩元政秀氏らを中心とした第2世代がリードしている。
 当時の学会員の構成は考古学関係者に比べ、その他の関連学者研究者や一般の方々を協力を得ての船出であった。社会的には米軍統治による差別感、抑圧感があり、さらに、ベトナム戦争の泥沼化にともない、反戦運動、学生運動の中には階級闘争に発展するなどの社会的雰囲気があった。

Ⅲ期:発展期(1972年から1991年)日本本土復帰時点から復帰後20年まで
Ⅲ①期:本土復帰10年は、日本本土化へと社会的インフラ整備や農業基盤整備事業などが急ピッチで進められ、それにともない環境破壊や文化財破壊が行われた。
 恩納村の国道拡幅工事において仲泊遺跡他周辺遺跡が発見され、その保存を巡る運動へと展開した。これには本学会のみならず、地元や教育・文化団体、一般市民、政治団体など加わり、本土復帰後の最大の遺跡保存運動として社会の注目を受けた。
 この期以来、埋蔵文化財の認知とともに、合わせて緊急発掘調査が増え、渡具知東原遺跡、渡具知木綿原遺跡、石垣島の大田原遺跡、神田貝塚の調査などでは、沖縄考古学における編年や文化展開の契機になる大きな発見が相次いだ。
 Ⅲ②期:本本土復帰20年は開発事業がより一層増加し、それに呼応して緊急発掘調査に対応すべく、沖縄県教育委員会(文化財調査部局)をはじめ関係市町村の教育行政機関にもに調査技師の専任職員が配置されていった。
 この時期の調査では、沖縄自動車道建設工事に伴う緊急調査で、石川市古我知原遺跡、沖縄市知花遺跡、竹下遺跡他4遺跡、また、県庁舎建て替えにかかる湧田古窯跡調査、ホテルリゾート建設に係る読谷村西海岸一帯の中川原遺跡貝塚他調査5遺跡、史跡整備事業にかかる遺構調査も盛んになり、復元に向けた首里城正殿調査などがある。この様な遺跡調査の急増は、学会による文化財保存の要請や研究活動にも大きく影響を与えた。
 学会の主な構成員は一方では文化財行政担当者でもあったため、調査に忙殺され研究の時間が保証がなく、自ずと関誌への投稿も厳しく、したがって定期刊行にはいたっていない頃である。
 なお、学会の学術交流は鋭意進められ、鹿児島考古学会との合同研究発表会を4年ごとに開催することが締結された。

Ⅳ期:展開期(1992年から現在まで)日本本土復帰30年から現在まで
Ⅳ①期:本土復帰30年は嵩元政秀氏が会長として引き続き主導しつつ、第3世代の知念勇氏か副会長に、事務局長に當眞嗣一氏が加わり、学会活動も一層軌道に乗ってきた段階である。
 調査で注目されるのは治外法権地区の米軍基地内において、文化財調査が実施されたことである。また、近現代の戦争遺跡の保護を目的とした、分布調査が開始されている。さらに、前Ⅲ期段階から訴え続けてきた文化財調査のサポート体制の強化要請としての、沖縄県立埋蔵文化財センターが開所したことである。
 日本本土ではバブル経済の崩壊で開発事業の縮小がみられるが、沖縄県においては依然として開発事業が増加傾向にあり、それら対応して埋蔵文化財の専任職員の採用が多くみられた。学会機関誌の南島考古がこのⅣ期段階から1年1刊行になっていく。背景には考古学人口の増加と学術交流による情報の拡大にあるものと思われる。
Ⅳ②期:復帰40年になると、学会長が第3世代の知念勇氏、當眞嗣一氏に代わる。この時期はグスク遺跡を中心とした世界遺産登録事業、首里城城郭等整備事業が終了している。なお、沖縄県内の遺跡調査は開発事業の件数に呼応して減少するが、ところが各地の調査規模が拡大していることで、現場における調査体制の厳しさは変わっていない。
 基地の整理縮小にともなう事前調査が、例えば那覇市天久の銘苅遺跡群の調査が10年歳月を経て終えているのもその現象の一つである。
Ⅳ③期:日本本土復帰50年は、知念勇氏、當眞嗣一氏の体制に次第4世代の池田榮史氏や上原靜氏が副会長として参加する。
 この10年間においても県内埋蔵文化財調査の中で基地内調査の占める割合が大きく、必然的に面的調査のため、先史時代、中近世、近現代集落遺跡や古島跡など複合遺跡の発見が多くなっている。
 また、他に新空港建設に係る調査や、古都首里城周辺の再開発に伴い王府時代の屋敷跡、交通遺跡、古墓の発掘事例が多く認められる。沖縄県内における基地関連調査の多さは本県の特徴ともいえる。